泥棒の歴史について

ebjyou-09-05c0127904_21503599泥棒が自分の生活の為に他人の家に侵入しようと自分の技術を磨き、侵入される側はそうさせまいと防御能力を上げようとします。
その、防御能力の極みとも言えるものが、精巧で複雑な鍵と錠です。これらが、厳重に私たちを守ってくれます。

この錠前が守ってくれるという概念は、江戸時代以前の日本にはありませんでした。
当時は長屋などに住む人が多く、個人のプライバシーの観念が発達していなかったこともありますが、内側から戸口を施錠する簡素な機能以上の金属錠前を、個人で持てる人というのは僅か一握りの人だったのです。
その人達とは商人だったり、豪族だったり、お上だったり。
庶民には、手が出ない高級品だったのです。
その為に長屋などでは必ず留守番がいましたし、ここに老人の存在価値がありました。隣近所とも連携し、信用と信頼が防犯をしていたのです。

庶民の羨望と妬みの象徴である錠前付きの蔵から物資を盗み分け与える「義賊」の発想はここに由来するのです。

ネズミ小僧は、獄門になるまでの10年間に100回、1万2000両を盗み出したと言われていますが、彼が貧民に施しをした、という記録は残っていません。
どうやら、脚本家たちの作り上げたイメージのようです。同じように石川五右衛門も、義賊のイメージがありますが、彼は脱走した忍者だったという説もあり、義賊とは実際には遠く離れた人物像だったようです。(ネズミ小僧は元鳶職です。)石川五右衛門は安土桃山時代の人物で、この頃は錠前そのものが普及していなかったが、あっても単純な海老錠で、あまり錠前破りの苦労はなかったものと思われます。

ネズミ小僧の時代、主流の蔵錠は、南京錠の一種、海老錠、和錠でした。
この二つのタイプの錠前はバネの組み合わせによる施錠システムなのですが、余りにも単純なものなので、錠前屋さんも、不正開錠 出来ないように、工夫を凝らしておりました。鍵穴がダミーであったり、一動作余計に動かさないと開錠出来ないようになっていたりと、泥棒の発想の裏をかこうと考えた跡があります。その後、ヨーロッパ、中国などから錠前をどんどん輸入し、その技術を発展させていくことになります。

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